通天閣
通天閣
通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区の新世界界隈の中心部に建つ展望塔である。国の登録有形文化財。所在地は大阪府大阪市浪速区恵美須東1-18-6
「通天閣」とは、「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳である。
現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成した。通天閣観光株式会社(つうてんかくかんこう、Tsutenkaku Kanko Co., Ltd.)により運営されている。避雷針を含めた高さは103m(塔自体の高さは100m)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲。建設を施工したのは奥村組である。
完成翌年の1957年(昭和32年)から、塔の側面に総合電機企業の日立製作所が大きく広告を出している。日立が広告を出すようになったのは、当時、地元の大手電機企業(松下電器、三洋電機、シャープなど)に対抗して大阪に進出しようとしていた日立と、資金調達のために長期に渡って広告を出してもらえる大手企業を探していた通天閣観光の思惑が合致したのがきっかけとされる。
近年、大阪には超高層ビルが多く出現し、また老朽化もあいまって目立たなくなりつつある通天閣であるが、現在でも大阪の象徴の一つとしてその威光を放っており、レトロを楽しむ大阪の観光コースの一つにもなっている。
地上と2階を結ぶエレベーターの乗りかごは円柱形であるが、この形状のエレベーターが設置されたのは通天閣が世界で最初とされている。2001年(平成13年)にこのエレベーターは更新されたが、形状は現在もそのままである。
2階は、5階展望台へのエレベーター乗り場、売店、ゲームコーナーがある。貸卓球台など、一風変わったものもかつて設置されていたが現在は撤去されている。3階はイベントホール、4階および5階には展望台、喫茶室、売店がある。
5階の展望台には、足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがある幸運の神様「ビリケン(Billiken)」の像が安置されている。これは新世界にかつて存在していた遊園地である「ルナパーク」が開業した1912年(明治45年)当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置したのが始まりである。1923年(大正12年)にルナパークが閉園した時期を境に像の行方がわからなくなっていたが、1979年(昭和54年)、通天閣の3階に「通天閣ふれあい広場」が作られたのを機に復元された。
塔直下の地下には「通天閣歌謡劇場」があり、毎週土曜日と日曜日に演歌歌手の歌謡ショーが催されている。ここには、映画やテレビドラマのロケにも使われた「通天閣囲碁将棋センター」が2001年(平成13年)まで併設されていた。松竹芸能が運営を行っている。
夜間は、黄金色と白色を基調とするネオンの光で塔全体が彩られ、さらに毎時0分になると、塔東側面にある大時計の文字盤が鮮やかなグラデーションで光る。ネオンはおよそ5年毎に模様替えされており、現在のものは12代目である。また、塔頂上には翌日の天気予報を4つの色の組み合わせで示すネオンサインが点灯する(晴=白、曇=橙、雨=青、雪=ピンク)。このネオンサインの装置は大阪管区気象台と専用回線で接続されており、そこからの情報に基づいてが予報が表示される仕組みになっていて、1979年(昭和54年)に日立製作所により制作、設置されたものである。
2001年までは展望室下に日立製作所のモノグラム社章が掲げられていたが、この年のネオン更新時に撤去され、その後に横3本線の帯が取り付けられた。
二代目が完成した当時のエレベーターは、東洋オーチス・エレベータ(現・日本オーチス・エレベータ)製であったが、2001年に日立製に更新された。
2006年に再建50周年を迎えるに当たり、改修工事が行われた。大時計の形が丸から八角形に変更されたほか、ネオンの色も変更され、より目立つようになった。